日本中の車好き、バイク好きへ

 

 

最近、電気自動車や自動運転車のニュースをひっきりなしに耳にする。

量産可能な自動車が製造され始めて110年。こんなにも早いのか。

焦りと、悲観的な気持ちになっている。あくまで車好きの視点からではあるが。

 

 

世界中がガソリン車の販売禁止へ動いており、ヨーロッパ諸国は2030年、台湾は2040年、日本は2050年と公表。また、日本、アメリカ、ドイツの主要自動車メーカーは、2025年までに一般道で自動運転レベル4(限定されたエリア内で緊急時も含め自動運転が可能)を目指すと発表している。

 

これらの目標は達成されるだろう。いや、もっと早いかもしれない。昨今の技術革新は凄まじく、自動運転に関しては、2004年に砂漠の上を11キロしか走れなかったものが、この15年で全世界中のあらゆる道を走破できるほどに進化した。

 

 

ガソリン車の終焉とともに、車を運転するという行為自体が失われようとしている。今後シンギュラリティが起きれば、人間より正確な判断を下すコンピューターが出現する。それらに運転を任せたほうが良いことは火を見るより明らかだ。想定外の動きをする人間の車は自動運転車にとって危険要素でしかなく、最終的には路上から排除される。これはバイクも同じだ。

 

 

こうなっていくとどうだろうか。運転が出来るのはサーキットなどの一部の施設内に限られてしまうだろう。サーキットのみともなれば、車は完全に趣味となる。整備した車を自動運転の積載車に載せて現地まで運び、走行費を払って走らせる。一気にハードルが上がるだろう。多額のお金が必要な、日常とはかけ離れた娯楽となる。

 

 

車は日常生活とリンクしているからこそ魅力があるはずだ。景色の良いところへふらっと出掛けたり、仲間と集まって談笑する。車に興味がない人でも、運転している時の一人の時間が好きだという人もいる。今の世の中車に乗らないとはいえ、ふと"車っていいな"と感じたことがある人は少なくないだろう。

 

 

自分は、「車はMT車しかダメだ。メーカーはMT設定車種をどんどん減らしている、車好きを大切にしていない!」と嘆いているわけではない。新たな技術が生まれることは素晴らしいことだと思っているし、車好きとしてメーカーの技術的成長を減速させるようなことを言ってはいけない。いまこの世で最も売れるであろう車が、”自動運転かつ居住性の良い動く個室のようなもの”であるということだって理解しているし、メーカーは今後も素晴らしい車を造るだろうと期待している。

 

 

日本は革新的な技術をもって数多くの名車を生み出してきた。それは国内外問わず人々を魅了し、各地で日本車文化が発生。スポコンをテーマにした映画ワイルドスピードが大ヒットし、頭文字D湾岸ミッドナイトなどのサブカルチャーも世界中に知れ渡った。車だけではない、国産バイクの世界シェアは世界の半数を占め、MotoGPの表彰台は日本メーカーの独壇場だ。

しかし今、世界中が熱狂したこの自動車文化が、日常生活からかけ離れた世界に遠ざかろうとしている。大好きなものにこの手で触れられなくなった時、どれほどの喪失感を味わうことになるのだろうか。

 

 

車やバイクを日常生活の中で楽しめる時間はもう長くない。「残念ながら、公道ではもう運転できません。」と告げられる刻は、もう目の前まで迫っている。規制、増税、車好きがますます減少している今、多少の無理をしてでも乗り続けているあなたは本物だ。結婚や出産など、家庭環境の変化によって手放すこともあるだろう。どうしても無理な時は仕方がないかもしれない。だが、隙あらばまた戻ってきてほしい。そしてもう一度、一緒に走ろう。

 

 

乗り続けろ、文化を誇示し続けろ。それしか居場所を守るすべはない。

四季折々変化する日本の美しい道を、いつまでも自由に駆けるために。

 

 

 

 

 

※これは暴走行為などを助長するものではない。文化を守り続けるために相応のマナーが必要であることは、言うまでもない。

 

※世界をリードしてきた自動車メーカーが数多く存在するにも関わらず、国内で自動車を文化として扱う風潮がほぼ皆無であることが、残念でならない。